【象英だより】2020年04月の活動報告|偶然と必然・・・「祓い清めて清々しい」
人生に、偶然という出来事はありません。
何故かと言うと、道で誰かと偶然出会ったとします。
それは、必然に自分が動いたから、その先で偶然出会ったのです。
自分自身が動かなければ、そこに偶然は生まれなかったのです。
気の学問に、「偶然の法則」というのがあります。
それは、宇宙、地球でも宜しいのですが、そこにはある種の見えない自然のルールが存在しています。人間はその法則の支配する自然という背景の中で誕生し、生かされ、活動して死んでゆきます。これは偶然ではなく必然なのです。
その法則を構成する要素の一つが、木であり、火であり、土であり、金であり、水であります。
つまり、「木・火・土・金・水」が地球を構成し、それに「太陽・月」が加わり、これらが循環することで地球は生きています。全ての法則の中に我々が生かされているので、法則は必然であり、偶然は無いと云うことです。
私たちは、毎日「気」の中に生きています。空気と言う「気」です。
呼吸ができないのは肺の病気です。漢方やお灸の先生は、体の「経絡経穴」や「経絡」を研究しています。体の悪いところは冷たく気血が悪いと言われ、“血の気が引く”と言います。手のひらは常に赤く、気が充満しているので、気が衰えている部位に手を当て、冷めた部位に陽の気を注ぐのです。これを「手当て」と言います。
血圧が高いと顔が赤くなり、心臓が悪いと青白くなってきます。肝臓や腎臓が悪いと顔が黒ずみ、黄疸では目も黄色に変わってきます。疫学が人の「気」と深く結びついている証拠です。悪い気が籠ると、元気がなくなり活動停止状態です。
本来、陽の気は自然の中に沢山存在し、空気の中にも多く混在しています。
自然界には偶然はありません。自然の法則の中に生きるには、その法則に叶った生き方をしなければなりません。それは、五体満足で、命を授かったことに感謝し、常に生き生きとしていることが必要なのです。常日頃から心掛けないと出来ないかも知れません。
“祓い清めて清々しい”のは身体のみならず心の在り方も美しくあるべきです。
緊急事態宣言が出されている今、昨年のこの日、修善寺の浅羽でのんびり過ごしていたことが夢のようです。そして、神道大教春季例大祭に一人参列して参りました。