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 観象学と光明精神
 
 
  観象学人
人間の最も優れた特性は、先天的な「本能の特質」であります。
光明精神の根本原理から説明して光明気学、光明易学の真髄を解説してゆきます。また、それと共に観象学における気学・易学とは、どのような使命観を持って研究をなされているものなのか、如何に鑑定指導すべきか、を漸次説明して行きたいと思います。
『大宇宙の全ての総ては、無限の活動をして止みません』…この実相が、気学・易学の原理となっております。即ち、この「陰陽道」の原理とは、陰と陽が、常に引き合って調和のもとに活動して止まないということで、これが気学や易学の基本的思想に現われております。言いかえれば「万象は常に変化し、活動して止まない」ということであります。

今、このことを、科学的な物の見方から、物質の実在の真相を追究してゆきますと、まず一つの物体(物質)は、多くの元素から成立していることがわかります。そして、その元素の奥に、原子というものがあるのです。この原子とは、どのような存在なのでしょうか?それは、原子核を中心として電子(陰電子・陽電子)が、非常に速く回転しているもので、その電子の数や配列のあり方によって、原子番号が決定されており、幾多の種類の原子が存在してます。これらの原子群が一つの元素を造り、その元素の集合が物体や物質を構成しているのであります。しかし、物質その物は動きませんが、その物質を構成しているところの元素その物の深奥を探究して行きますと、それは前述の如く、一つの原子核を中心とした、電子の回転の集りから出来ているもの、従って、常に活動している状態であると共に、そこには核を中心として空間も存在するわけであります。それを、拡大して考えて見ると、恰かも天文の世界に観る大宇宙の中の小宇宙のように、太陽を中心として、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星などの、九個の大惑星が自転し公転している状態と全く同一で、相互に一定の規律と秩序を保って整然と回転しているのであります。
『千古の太陽、日々新たなり』と云われるように、太陽は東から出て、西に入り、翌日再び、朝日となって東から昇るように、天地間の法則は規則正しい秩序から成り立っております。従って、マクロの宇宙に観る太陽系の活動も、また、ミクロの世界の原子の働きも、全く同一の真理のもとに統一された秩序の存在することを知るのであります。

さて、この殊序が存在すると云うことは、何を意味するのでしょうか?そこには、その背後に即ち、意志があるからであります。
故に、秩序の背後に意志があればこそ、その秩序は保たれ、規則正しく運行されて行くわけです。そこで、その意志とは何であるかを追究するならば、意志の背後に学び取った知恵が存在すると云うことになります。
即ち、知恵を持って、意志通りに秩序を保って行動するが故に、そこには、合目的な活動の法則が存在することが認識されるのであります。
今、これを人間の行動に置きかえて考えて見るならば、その行動の背後に「意識格」や「人格」が存在することが理解されます。
このように大宇宙の活動法則は、宇宙意識に基くものであり、その背後に人間の「人格」とも称すべき、大宇宙の「神格」が存在するものと考えられるのも理の当然のことであります。

この様に尊い「神」の分霊を受けて来た私達は、天地間に抱かれ、大自然の中に生成化育し「万物の霊長」として進化発展して来たものであります。
言うまでもなく、他の霊長動物と異なることは当然でありますが、その最も優れた特性は、先天的な本能の特質であります。
いわゆる「動物的三大本能」(睡眠欲・食欲・性欲)以外に、宇宙の太霊「神」より受けた「霊性の本能」と称すべき、即ち「神性の本能」を保有していることであります。
この、人間に於ける「神性の本能」こそ、宇宙の太霊につながる、宇宙意識からの賦与であり、即ち「神こころ」そのものなのであります。
ここに至って、人間本来は「善」であることが理解され「性善説」の理念も成り立つわけです。
故に人問は、先天的に「良心」を具有していると云うことになるのです。

◎美を喜び、真を求める心。
◎神(仏)を求め、崇める心。
◎宗教を求め、祭紀する心。
◎死者を葬むり、建墓する心。
◎光りを求め、暗を厭う心。
◎愛を求め、平和を喜ぶ心。
◎人を助けて悦びを感じる心。
◎人の不幸を悲しむ心。
◎手を合せて祈る姿勢。

◎善を喜び、悪を嫌う心。

以上は「良心」を持つ人間の「神性の本能」から必然的に、ほとばしる善の顕現の一端であり、まして、また自然に継承して来た「倫理観念」の片鱗でもあります。
以上、記した「良心」即ち「神性の本能」の本質に関しましては「神道」では、これを「直霊」と称し「仏教では、これを「仏性」または「真如」と称しています。私は、宇宙の太霊より継承したこの「良心」を人間の心の奥底に存在する最も尊い「心王」と称しておりますが、また他の宗教でもこの存在を認めて、「本来の面目」とか「心の真柱」などと称しているところもあります。しかしおしなべて、これらの「神性の本能」は、心の感情や動物的な欲望に依って曇りを受けて神性の光を失い「神の子」としての片鱗すら見られない「動物的人間」として、罪、繊の多い生存競走の激しい現代社会に、闘争と苦悩の生活を展開しつつあるのが偽らざる真相であります。この姿を如実に描写して「三界は安きことなし、猶火宅のごとし、衆苦充満して、甚だ布畏すべし、常に生老病死の憂患あり…(欲令衆)また「我れ諸の衆生を見れば、苦海に没在せり…而も衆は焼けつきて、憂怖諸の苦悩、斯の如き悉く充満せりと見る、是の諸の罪の衆生は悪業の因縁を以て阿僧祇劫を過ぐれども、三の名を開かず…」(寿量品第十六)。
以上は、法華経より摘出した経文の一部でありますが、宇宙の太霊「神」より、分霊を受けた「人間は神の子である」と云う自覚を持たぬ限り、人間は神(仏)の存在も天地の法則も、聖人の教も悟り得ず、ただただ自前の生活に追われて苦海の波浪の中に浮き沈みして行くばかりであります。
仏教の教えに「真如一点の曇りを受けて、人間となる」と云う言葉がありますが、その二点の曇り」こそ前生からの業(カルマ)の曇りであり、また、人間それ自体の肉体を指すものとも解釈されます。即ち業(カルマ)の曇りで、真如(神仏、より受けた分霊)の霊智の輝きを覆い隠して獣的な肉体を基本とした感情や欲望に支配されて行くと、宇宙意識を離れた心の迷いは規矩を失い、迷いは迷いを招いて感情と欲望の渦巻が無限地獄の運命を呈するに至ることは理の当然であります。ただ自然の法則を司る神の御心に、そして、その法則の道を教える聖人の訓戒に逆らわず、「水は包円の器に従う」と云うように、「三歳心、水心」で、気学、易学の真髄と光明精神に基づく「心の法則」を遵守して行くことです。それによって「日々是れ好日」の生活を体験することが実現出来るのであり、人生航路の前途は安穏な日和となることでしよう。

最近、この「心の法則」や「癒し」と云う学術が重要視されているということは、単なる心理学では物事が解決出来ないことがあるということで、心理学を超えた超心理学と云うものが、現代心理学の発展と共に認められ研究されてきているのであります。またそれが、超心理学と云う名称で呼ばれていたのが「精神科学」(メンタルサイエンス)と云う名称を持つ学術に発展しております。まさしく科学の分野に於いてこの「心の法則」を新しい科学として研究される時代となって来たのであります。人間が神の子の精神を受け継いで使命をおび、宇宙の合目的てきな世界に育まれて生活する限りに於いては、やはり自然の法則に従った「気学」や「易学」の原理に基づいた行動と実践を生活の中に活用せねば完全ではないと云うことなのであります。つまり観念の世界だけで終ってはならないのです。これらを実践し、行動に移して、自然にマッチした生活のテクニックや生活のリズムを合せて行かねば、いかにそれが正しい教えであると難も、心の世界だけでは観念の遊戯で終ってしまう恐れがあるからなのです。

以上の観点から、観象学講究総本部では、七つの信条の内第一条に『宗教・道徳を超起した陰陽道の真理に徹する』と謳っております。これは決して一方に片寄った考えではならないからであります。宗教色の濃い観念にとらわれた考え方では正しい陰陽道の原理を実賎し遂行することは出来にくいからであります。また、第二条には『常に光明思想と運命創造の人生観の元に鑑定指導を行なうこと』とあります。これは常に、心に明るい日の輝きを与え、光明のさす入生観と明るい感謝の喜びを持って行くことが必要なのであり、「植物の光に対する指向性の原理」と同一の意を示しているのであります。それには心に太陽を持つことが必要であり一家には「守護神」を家の太陽として持たねばなりません。(神は各人の心を宮居とする)。この心の太陽を愛情の光とし、喜びの光として、また迷った人々の暗い道をてらす指導の光として活用し、人を導き助けてゆくことこそ光明精神による行動であります。その考え方が光明精神の人生観であり、使命観でもあると言えます。これは、人に対するばかりではなく、自らも実践躬行して、ゆかねばなりません。「物事に行き詰ったのではない、行き方を工夫しないからである」と哲学者のトルストイが云った如く、「愛し得ないのではない、愛しようとしないからである」と同じことであって、行き詰った事には、打開しようとする努力が必要なのであります。

人間が知らずして体を傷つけ、災の渦に巻き込まれ様とする時、また苦しみの余り行き詰まった時などには、その人が神意につながっている限りに於いては、神の慈悲や神の見えない力が神の愛のうちに、不思議な反応を示して、その人を助ける道が、合理的な方法を以て、実現するということを忘れてはいけません。偶然はないのです。何時の日も必然と言えるのです。両親の愛しさからこの世に誕生し、生かされていることに感謝して生活して欲しいのであり、学び取って行かねばならないのであります。
「人生は変えられる」「運命は変えるもの」がテーマの観象学。
以上の意義に於いて、「気学」と「易学」を融合した『観象学』には大きな期待と大きな抱負と、大きな望みと、そして尊い使命観を持って研究を重ねてもらいたいと思うのであります。
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